福岡県少林寺拳法連盟の役割と沿革

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福岡県少林寺拳法連盟とは、福岡県において少林寺拳法の支部の活動を支えるために組織されたもので、福岡県に所在するすべての支部活動を積極的にサポートしています。

また、福岡県少林寺拳法連盟としても独自に各種行事・講習会・大会運営を行い、福岡県に在住する人々に対する活動を通じて一人でも多くの拳士を増やすだけでなく、既存の拳士の教育にも力を注いでいます。

 

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福岡県少林寺拳法連盟の沿革

 福岡県における少林寺拳法は、1960年(昭和35年)、飯山道院(香川県。現在廃止)出身の中村秋尚が、九州に少林寺拳法を普及させるため、福岡県に単身乗り込んだことから始まった。

 

 1960年(昭和35年)にいったん甘木道院(現在廃止)を設立。さらに、1964(昭和39年)年2月北九州市に戸畑道院(現在の福岡北道院)を、同年10月には八幡製鉄支部を設立した。そして、1966年(昭和41年)10月には、戸畑道院所属の安元実が戸畑製作所支部を設立した。

 

 また、福岡ではもう一つの流れがあり、1963年(昭和38年)5月、福岡管区警察局の初代保安課長として赴任した太田達雄が福岡市に筑紫道院(現在の博多道院)を設立した。

 これらの道院・支部がまとまり、1965年(昭和40年)、福岡県少林寺拳法連合会を発足。初代会長に安元実、理事長に中村秋尚が就任した。

 

 1965年(昭和40年)秋の第1回北九州大会を皮切りに、順調な発展を遂げるが、その特徴的な点は、一般支部、学生、実業団が一丸となり、大会や合同練習などを運営してきたことにあった。1968年(昭和43年)からは、機関紙『拳友』が月刊で発行されているが、県単位の意欲的な活動として特筆すべき点であった。

 

 1981年(昭和56年)、福岡県少林寺拳法連合会発足以来、理事長を務めていた中村秋尚が辞任。1982年(昭和57年)4月、理事長に就任した秀島敏雄(元北九州八幡支部長)を中心に、新たな福岡県少林寺拳法連盟規約と新ブロック制を制定し、これまでの福岡県少林寺拳法連合会を改め、福岡県少林寺拳法連盟として再スタートをきった。その後、1984年(昭和59年)4月久保田利幸(那珂川道院長)、1999年(平成11年)4月森山廣平(福岡大川道院長)、2005年(平成17年)4月浦一(福岡中央道院長)、2009年(平成21年)4月益永亮(福岡玄洋道院長)、2015年(平成27年)4月藤田憲幸(中間南道院長・中間南スポーツ少年団支部長)が理事長に就任し現在に至っている。

 

 また、福岡県少林寺拳法連盟の会長には、1979年(昭和54年)麻生太郎(衆議院議員)、1999年(平成11年)金子逸朗(元福岡トヨタL&F(株)代表取締役会長)、2005年(平成17年)7月川原正孝((株)ふくや代表取締役会長)が就任している。

 

 その他、特筆すべきものとしては、1977年(昭和52年)の中国武術団の福岡市公演では、福岡県少林寺拳法連合会が主催して2,000人の観客を集め、また1995年(平成7年)11月の福岡ドーム(現在の福岡ヤフオク!ドーム)で開催された全国大会では、過去最高4万人が参集し、大成功を収めた。そして2018年(平成30年)6月の福岡県大会・中学生大会では、「自信と勇気と行動力と慈悲心を持った社会で役立つ人を育てる」という思いを実行する機会として、「福岡県宗道臣デー」と銘打ち、障がい者就労支援を行った。

 さらに2015年(平成27年)からは、各所属間の小中高生の交流、大学や社会人になっても継続して少林寺拳法を続ける環境に繋がることを願い、次世代交流合同練習会を実施している。

 

 また、2012年(平成24年)から地域社会少林寺拳法指導者研修会を積極的に開催しており、そこには多くの拳士が情熱を持って集い、日本武道館から派遣された講師からも毎回高い評価をいただいている。

 

 福岡県少林寺拳法連盟は、これからも少林寺拳法の充実と発展のため、様々なことにチャレンジしてまいります。